鈴木正治

2013年4月 個展

2005年11月 個展

2002年10月 個展

2001年3月 個展

2000年5月 個展

————————————————————————————————————————————
【鈴木正治】1919-2008 青森に生まれ青森で没す

木や石を刻み、油彩で墨で描き、プレス機で摺り、商店の看板を造り、包装紙などのデザインを
よくし、”美術”とともに生涯を送った人。

青森の人々の中に在り、その風土や文化をこよなく愛し誠実に制作した鈴木正治さん。作品が持
つ空気は真に鈴木さんご本人の”生”と重なります。青森の街の中で、またこの希有な存在の美術
家を識る多くの人々の心のなかに今も息づいていることでしょう。

1919年青森市新町で生まれる。26歳の時に中国で終戦をむかえ、抑留をへて翌年青森に復員しま
す。この戦争の体験が、無事に帰還できた折角の尊い命を好きな美術に捧げる決心するきっかけ
のひとつだと伺いました。

1947年、東京の中央美術学園(通信教育課程)の一期生として学び、その一方で1950年、第2回読
売アンデパンダン展に出品。1961年第13回まで参加は続きます。
1962年、南画廊で「凧と河原の石」展を山本道子さんと開催。

「生成」1957年

「生成」1957年石彫38x18x34()
この頃の作品です。均勢のとれた美しいフォルムで、今にも爆発しそうな内側のエネルギーを感じるます。

 

 

タイトル不明

「タイトル不明」1966年以降。青森の風物の海、船、魚、荷 車、人々などが、長さ15cmにも満たない木っ端全体に彫刻、彩色されています。小さいながらも地元青森が満載の見応えのある充実した作品です。
構成や色彩をみると明らかに「ねぶた」の山車を思い起こす事ができます。そう考えれば作品1「生成」の均勢のとれた立体感覚が、生まれた時から身近にあった「ねぶた祭り」の山車で身に付いているものなのかも知れません。あくまでも想像ですが。鈴木さんはねぶた祭が大好きでした。

左は油彩画 年代タイトル不明
サイズはサムホールくらいです。

東京でコンスタントに作品の発表をし、また周囲からもその才能を認められつつあった状況の中で鈴木さんは青森へ帰ることになるのです。
JR青森駅の近くでパンの卸売をしながら制作が続きます。早朝の卸売の仕事が終わり、あとの時間は家の横で石をカンカンとノミで削るという制作の時間。そんな姿を目撃している人も少なくありません。

 

1966年鈴木さんが発起人となり、「美術グループ脈」を立ち上げ、同年の第一回展から9回展まで毎年作品を発表。

作品の内容は林檎、角巻、雪、ねぶた祭など、青森の風土に根ざしたもの。人と人との繋がりをテーマにした「輪」。不動明王や誕生仏を単純化した「ウゴカズ」「タンジョー」などを、石や木、墨絵、エッチングなどいろいろな技法で制作しています。
青墨で描かれた墨絵は、たっぷりとした太いラインと面相筆でゆっくりと描く細いラインとの繊細なバランスが美しいです。
石でも木でも、時には平面作品の制作においても、出会った時の素材の在り方を大切にしていました。素材の形を尊重し、その形と自分の形態との調和を最も心掛けていました。

「 わ 」

「わ」石1989年120x206x183
青森県総合社会教育センター

「ウゴカズ」晩年の墨絵

 

 

 

 

 

鈴木さんは日本ばかりでは無く海外でも制作、どこにいても紙や筆、鑿を携え、素材があれば人に乞われるままに描き彫ってきました。作品はその土地や人に置いて行きます。梅干しの種でも焼き鳥の串でも素材になってしまう。晩年のご自宅/仕事場はそれはそれは宝の山でしたよ。その制作意欲は最期まで衰えることなく美術と共に歩み続けた88年の生涯でした。

いま、鈴木さんの作品は、青森市内の公園、学校、図書館、病院、また近郊の市町村に、公共の場で設置されているばかりではなく、店の看板やホテルの壁面、歩道など、街のふとした所にもあります。作品を売ることはせず、お世話になった人々にお礼にあげたり、旅先で制作すればその地に置いてきます。
そのような人々との交流は
1995年、朝日新聞全国版「ルポ 石と木と墨と 鈴木正治の生き方」
1996年、NHK制作のテレビ番組「飄々と飄々とー鈴木正治の世界」
で詳しく紹介されています。
追々紹介させていただきます。