渡辺逸郎

渡辺逸郎展
「水の上に水」(透明水彩)/ドローイング
2017年3月2日(木)〜3月19日(日)

「水の上に水」 660x480mm 透明水彩

「水の上に水」
660x480mm 透明水彩

撮影:廣澤章光

撮影:廣澤章光

渡辺逸郎(1948~2012)
「・・・それに、僕は食事が、白米と納豆、冷奴に焼きのりが好きで。・・・そうなると、やっぱり必然的に、和紙に水彩でしょう(笑)。・・・」(アクリラート・VOL.16 平成3年より、発行ホルベイン工業(株))。は「水の上に水」を制作されている時期に取材された記者との対話の中の言葉です。そして、水彩絵具の手軽さゆえの速度、生き生きとした即興性の上に、絵画的な内容と自分の生活が一致していると話は続きます。
”水”をテーマにした作品はこのシリーズの前から継続的に制作し、素材も表現も変容ているのですが、それでは何故”水”だったのだろう、という問いです。

渡辺逸郎さんは1969年、美学校(現在神保町)の一期生として立石鐵臣博物細密画教場に入学、細密画を学びます。その時期の「アトリエ No.524 ’70/10 細密画の基礎技法と展開」に掲載された小文の中で、細密画を描く目的は単なる模倣描写ではなく、その技術をもって物体(地上的事物)の細密な中へ蚕食的に侵入することにより”反世界的宇宙空間”を獲得でき、最も理想化された自然領域へ入る、というようなことを書いています。反世界的宇宙空間とはどのような事なのか正確には解りませんが、多分、見えている現実世界ということに対する見えているが現実を超越した世界、というようなことなのかと勝手に解釈しています。

水のもつ性質、氷という個体から液体、気体までの変化が、あくまでも物質的にとらえた場合ですが、湿度が高いという日本の風土ではその在り方を身体の中で感じ易くさせてくれます。それはまた観念的な「在ると在るけれど無い」を暗示させてもいるような気がします。水は渡辺さんにとって身近で格好のモチーフだったのではないでしょうか。細密画の技法を身につけながら獲得してきた、この二つの世界観の融合は制作の最後まで持ち続けた課題だったのではないかと考えます。
今回展示のドローイングの中で、鉛筆のラインが白い紙の中から浮かび出てくるのか、紙の中へ入ろうとしているのか、紙面を行ったり来たりしているように感じさせる一枚があり印象的でした。あくまでも想像ですが、紙の内部と表面というような意識が働いて描いていたかもしれません。
実際、晩年の作品まで複合的な世界観が通奏低音のように画面に響き渡り、観る者の感覚を揺さぶっています。

美術という行為で呼吸していた、既に完結した画家の仕事の一端ですが、美術を愛する人々に「水の上に水」という不思議なタイトルをもつこの美しい作品群をご紹介したく展示することといたしました。

小品展 1996.4.6~5.25

小品展
1996.4.6~5.25

個展2002.6.7〜6.30

個展2002.6.7〜6.30

渡辺逸郎 略年譜

1948 3月9日 栃木県那須郡那須町に渡辺小太郎・栄夫婦の次男として生れる。父母は公務員で、父小太郎は那須町の出身。後に妹が誕生し、二男一女のきょうだいとなる。
1953 6月 東京都三鷹市深大寺に移転
1954 4月  三鷹市立第二小学校入学
1960 3月 同小学校卒業。4月 三鷹市立第二中学校入学
1963 3月 同中学校卒業。4月 私立盈進(えいしん)高等学校入学
(盈進高等学校は当時、東京都北多摩郡保谷町あった。1985年に「東野高等学校」に校名変更し、埼玉県入間市に移転している)
1966 3月 私立盈進高等学校卒業
高等学校卒業後、桑沢デザイン研究所、大塚末子きもの学院にて学ぶ
1969 4月 現代思潮社によって創設されて間もない「美学校」の「立石鐡臣博物細密画教場」に第一期生として入学
1970 3月 同教場修了。4月 同じく美学校の「加納光於銅版画教場」に入学
1971 3月 同教場修了。「加納光於教場展」(芸術生活ギャラリー)に出展
1973 「アリス・イン・ワンダーランド展」(画廊人魚館、京都書院画廊)
1974 3月 初の個展「化粧箱の規制銅版画展」(洲之内徹の現代画廊)
またこの年、種村季弘が企画した「若い日本の幻想画家展」に出展、同展はドイツ国内を巡回した後、ギャラリー銀座三番街、ギャラリーさんよう(名古屋)でも開催された
1975 3月 杉江澄江(1947年10月生れ)と結婚。二人は舞踏家笠井叡が主催する「天使館」にて、そこで研鑽する舞踏家と気鋭のポスターデザイナーとして知り合った。結婚後、長野県諏訪に転居し、宝石研磨の仕事に就く。
1976 3月 長男、数馬誕生。この年、「細密画技法の基礎と展開展」(シミズ画廊)、「市民の美術展」(諏訪市美術館)に出展
1977 「グリーンドロップス絵画展」(喫茶LAVIE)に出展した後、7月に個展「ダイヤ版展」を諏訪の自宅で開く。9月 長女、羽音誕生。
1978 5月 東京都八王子市に転居(その後、調布市仙川、千葉県松戸市に住むが、転居の時は特定できていない)。
1979 3月 個展「ダイヤ版PART2」(画廊春秋)。国分寺市恋ヶ窪のStudio 33神遊館(サラムカン)にてダンス・パフォーマンスを行う。
1980 「特異な作家10人展」「5人展」(いづれも、さくら画廊)に出展。この年、横浜のライブハウス玄海、調布市のスペース仙川、神遊館でダンス・パフォーマンス。
1981 3月 離婚。他の家族は「杉江」姓となる。4月「渡辺逸郎展」(画廊春秋)。その後渡米、サンフランシスコを中心に秋まで滞在する。
1982 8月 『美学校通信』4号にエッセイ「川仁宏事件」を発表
1983 4月 美学校に「渡辺逸郎細密画教場」を開く。3年前になくなった立石鐡臣教場の後継として、毎週土曜日夜間に行われる授業は、1999年度まで続けられた。
この年、「アートランス・ギグメント’83」(Axis Gallery)に出展
1984 2月 個展「Water Chute」(お茶の水画廊)。この年、「栃木県美術の現在展」(栃木県立美術館)に出展。また、個展「1972~’84渡辺逸郎舞踏ポスター展」(ギャラリー612)
1985 7月15日、舞踏「ぬり残し」を中野・テルプシコールにて開催。「日本オブジェ展」(渋谷パルコ)に出展。12月「The Year and Festival展」(画廊春秋)に出展。
1986 3月「Peach Blossom Festival展」(画廊春秋)に出展。6月 個展「Water on Water」(お茶の水画廊)
1987 6月 個展「Water on Water」(お茶の水画廊)
1988 5月 個展「Water on Water」(お茶の水画廊)
1990 「今日の造形展」(栃木県立美術館)に出展。5月に個展「Water on Water」(お茶の水画廊)。他に個展をギャラリー射手座、ギャラリーLa Belleにて開催
1991 3月 息・数馬、娘・羽音の私立自由の森学園高校・中学進学に伴い、埼玉県飯能市に転居。以降は住所を変えながらも飯能に住み続けた。5月に個展「Water on Water」(お茶の水画廊)。他に個展を、ギャラリー射手座、ギャラリー平塚、ギャラリー代々木にて開催。11月から12月にかけて宇野邦一と共に渡仏。
1992 5月 個展「Water on Water 5」(お茶の水画廊)。他に個展を、アートスペース虹、プラザ・ギャラリー、ギャラリー光彩、平塚画廊、彩林堂画廊にて開催
1993 5月 個展「ステンシルによるWater on Water6」(お茶の水画廊)。他に個展「ギャラリー・モーヴ」(池袋西武)を開催。11月に芥正彦と共に渡仏、芥正彦の詩『華鏡』に挿画30点を連作、フランスMarchant Ducel社より出版される
1994 10月 個展「水の上に水・7」(お茶の水画廊)
1995 1月 個展「1969~’94自選展」(画廊春秋)。11月 個展「水の上に水・8」(お茶の水画廊)、他にアートスペース虹にて個展。
1996 4月 阿部浩、今泉省彦、遠藤昭との「小品展」(アートM/現・土日画廊)に「予感の感」「昆虫」などの鉛筆細密画を出展。11月の個展「水の上に水・10」(お茶の水画廊)で、<降り注ぐ言葉シリーズ>の端緒となる作品をステンシル作品とともに発表する。
1997 10月 個展「水の上に水・11」(お茶の水画廊)
1998 10月 個展「水の上に水・12」(お茶の水画廊)
2000 4月 個展「渡辺逸郎展」(お茶の水画廊)
2001 9月 個展「1995年から現在」(パラグローブ)
2002 6月 個展「渡辺逸郎展」(ステンシル作品。土日画廊)。9月 「矢川澄子追悼展」(ギャラリー・イヴ)に出展。同月刊行された『ユリイカ臨時増刊 矢川澄子・不滅の少女』にステンシル作品「水の上に水」(93年)が掲載される
2012 5月 逝去
(文責・照井康夫 協力・杉江音羽、甲賀勝雄、芥正彦、藤川公三、長谷川公男)